全力で逃げていたときにやっていたこと
1. ひたすら寝る
ひたすら寝てた。本当に寝てた。
だって、寝ている間は現実を直視しなくて済むから。
「逃げ」においては、パーフェクトといえる戦法。めっちゃくちゃカッコ悪いよね、いい大人が。でも、あの時の僕には必要だったと思う。
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2. ゲームをやる
僕は子供の頃、テレビゲームが大好きだったのよ。アクション、シューティング、ロールプレイング、シミュレーションといったジャンルのゲームをやっていた。
でも、大人になるにつれてゲームはだんだんやらなくなる。そんな中、今でも「日本ファルコム」のゲームだけはやっていてね。
このときはPS vita用のARPG「東京ザナドゥ」だった。
▶︎参考:「東亰ザナドゥ」公式サイト
ファルコムのRPG/ARPGはシナリオがいい。若くまだ力を持たない主人公たちが、それでもがむしゃらに理不尽な現実や世界を相手に挑む。
まさに今の自分が持ちたい「在り方」を体現している主人公たち。セリフもいちいち感性に響く言葉。シナリオライターさんは自己啓発や心理学を熟読されているんじゃないかな。
他に「軌跡シリーズ」も同じようなスタンスで描かれていて、僕はほぼすべての軌跡シリーズをクリアしてます。
ゲームは一般的に第4領域に分類されるものでしょう。でも「スーパーベターになろう!」という本に出会ってからは、あながちそうとも言い切れないって考え方が変わったよ。
曰く、アクションゲームのような「脳の視覚的リソースを必要とする」ゲームは不安を打ち消すとのこと。(テトリスがベストらしい)
東京ザナドゥはまさにアクションゲーム。逃げていた時はちょうどラスボスステージだったこともあり、視覚的リソースをよく使っていました。だから、不安を忘れられて前に進めるキッカケになったのか、と今ならそう解釈しちゃう。
慢性的にゲームをしてしまうとまさに第4領域だろうけど、時々やるくらいなら僕にとっては第4領域ではないってこと。
3. 漫画を読む
少年ジャンプの「食戟のソーマ」にハマっています。
料理の実力がすべて、という学園での様々な料理バトルや人間模様、そして成長が描かれている作品。ここでも僕は「在り方」を目の当たりにしたのよ。
主人公の創真くんがね、自分の好き(料理)のためにこれ以上ないくらい全力なの。
例えば、料理バトルする前、対戦者と比べて自分の足りない部分を素直に認め(そして、そのことに落ち込むことなく、相手に屈することなく)、勝つためにどうするかをとことん考えて、行動しています。
ホント、僕に足りないものを体現してる。
だから、読んでいていちいち響く。実は読みながら危うく悔し涙を流すところだった。(僕のストレングスファインダーの上位に「共感性」があることも関係している気がする)
それから創真くんの父、城一郎さんのテキトーであり、飄々とした「在り方」は、頭でっかちな僕は真似したいですね。
それにね、僕にとっては写真表現に通ずることを学ばせてもらった漫画でもあるんたな、これが。
例えば、作中に「必殺料理(スペシャリテ)」という言葉が出てきます。曰く「料理人の顔が見える料理」とのこと。また、「皿に自分の全部を込める」というセリフもあります。しびれる。
でね、これって写真にも置き換えられるんだよ。
その1枚、その1シャッターに自分の全部を込める。そのくらい全力で撮った写真の「写真力」は絶対的に凄い。写真家としての感性が120%表現され、見た人に伝わる強さも凄まじいでしょう。
ソーマを読んで「そう」思えたってことは、「そう」なれる感性の種を持っている証。じゃなきゃ響きませんからね。だから、僕は「そんな」写真家になるよ。
他にも▼こんなシーンにも僕はジーンとくる。(13巻 #108 道を選ぶ)
『いっとき離れていた昔からのお客さんに、今も変わらぬお店の味を提供する。
すると、そのお客さんは「あぁ、やっぱり、ここの味はいいねぇ」と言葉をもらす、満面の笑みで。』
ここよ、ここ!僕も人にそう感じて欲しいと願ってる。写真に限らず、僕が表現したものを見た方にそういう感覚を味わって欲しいんですよ。
漫画もビジネス書も学ぼうとすればいくらでも学べるもんだね。食戟のソーマ、オススメ!