シャドウの投影(他人は鏡である)
反応(起きたことを悲観的に捉える等)
ストーリー(起きてもない未来を憂う等)
を自覚できたら、心を探求したり自己と向き合うのはいい。過去を水に流すことで楽になることは経験してきたし、進むことができるから。
クリーニングとクリアリングだ。
一方、投影があろうが、反応があろうが、ストーリーに囚われようが
『そういうの関係なしに「なんかもー知らん!もーやる!」という「ガォー」で行くことも大切だ!』
と思う。
ここに損得や正悪は関係なく、
諦めて
=現状を明らかに見て
=目の前に起きている現実を受け入れて
=こんな自分でもいいんだと受け止めて
ただ動く。ただガォーと行く。
動くしかないときがある。動くしかないときが来る。それを受け入れよう。
動くことで投影や反応やストーリーを断ち切ることができるから大丈夫。
だって
行動するから進むわけじゃん。
実践するから経験を手にするわけじゃん。
10やったから、10積み上がるんだよね。
10やったから、10の経験が得られるんだよね。
行動・実践することが前進や変化につながる。
ヤケになるのとは違くて、見るべきものを見てエイヤと動く。
このとき3歩進んで2歩下がる気持ちでいると楽。気負わずに進める。でも、ゴリゴリと100歩進む気持ち「も」あっていい。
ときに10歩下がることがあるかもしれないけれど、すべてが一番の経験になる。
行動・実践からの経験が自分を変えるんだ。
そう、過去を水に流す以外にも、自分と向き合うことはできるんだよ。
以前にも似たことを書いていましたね。