「このまま」でいたら「このままの延長」でしかない。「このまま」を変えると、今この瞬間から感じることや体験することが変わっていく。
春、ちょっと元気のない日が続いてね。写真を撮ることなく時間が過ぎたことがあった。でも、「違う流れをつくろう」と気持ちになっていてね。
そのあと良い気づきに出会えたんだ。
自分を変えてくれるいちばんの存在、自分を喜ばせてくれるいちばんの存在は自分なんだってことに。
「違う流れをつくろう」になったとき、たまたまFUJIFILM X-H1が目にはいってね。「たまたま」の流れに乗っかって、今日はこれでお写ん歩しようと思った。
家から出て数分後、小さい植物にむけてシャッターを切ったときのこと。
X-H1のフェザータッチシャッター独特の「カシャン」ってやさしい音をカメラが返してくれたとき、グッときたんだよね。
「やっと、好きなものを撮ったのかよー」
「なんで(自分が自分の好きなことを)やってあげないのさー」
「撮るの好きなんだろー?19年もやってるじゃないかー」
そんな気持ちが込み上げてきた。
僕が僕の些細な「好き」を満たし、喜ばせた瞬間にじんわり涙。「あぁ、そうだ、僕は撮ることが好きなんだ」と思い出せた。
僕は昔から小さい植物を撮るのが好きでね(花の名前は覚えられないんだけど)。
岩からちょこんと出ているような花、地面に生えている小さい花なんか、歩いていると目に入っちゃう。(人とくらべて)小さい命なのに元気よく生きていることに感動する。で、撮りたくなる。
僕が撮る写真は基本的に「何気ない日常」なんだと思う。
日常を僕というアンテナが感じて、僕というフィルターを通じて表現、共有したい。目を凝らすと世の中にはこんなにも美しいものがあるよって伝えたい。
昔、友達(女性)に言われたことが印象的でさ。
なむさん(僕のあだ名)の写真には『それを撮ってやる』というガツガツ感はなくて、被写体に寄り添うような繊細な写真だね
みたいなことを言ってくれた。記憶を誇張はしてないはず(笑)
これに気づいたとき、人を撮るときの在り方も同じだなって思った。
「何気ない日常」=「ふだんのあなた」にも「こんなええとこあるやん」が目にはいるから、「ええかげんそこに気づけー」と伝える感覚。
なので、スタジオで作り込んだかっこいい写真よりは「その場、その空気感の中で撮る」の方が僕は楽にできるし、好きなんだな。
かつてお客さんから言われた言葉「君の撮影ばジャジーだね」を思い出す。そう、こんなライヴ感が好きなんだ。
「たまたま」元気がない日が続いて、悶々として自分を責めて、でも「流れを変えよう」と思って「たまたま」持ち出したカメラがとってもやさしいカメラだった。
「たまたま」が重なって思い出せた僕の好きなこと。
それを叶えてあげたのは自分なんだよね。
自分を変える
自分を喜ばせる
それができるいちばん身近で、いちばんの味方は自分。
だから
この記事を「たまたま」見つけてくれたあなたも、あなたの気持ちや想いを恥ずかしがったり、ためらったり、ないものとしちゃダメだよ。
ひとつひとつ、ゆっくりでいいから(ときに強制的にw)喜ばせてあげるといい。
喜ばせるのは難しいことじゃない。たとえば、
- (今回の話のように)昔からやっていて、今やれていないことをやってみる
- 普通にできることをやってみる
- 人と会うのが好きなら昔馴染みに連絡を取る
- 「たまたま」のまま流れてみる
など無理はせず、今できることからやっていけばいいさ。