読書しているとき「自分軸」や「他人軸」について、キラリンと閃いたことがありました。その「計り方」のひとつとして、このような考え方もアリなんじゃない!?ということをまとめます。
そのキラリンのもととなった本はこちら。
[adSensecode]
SNS離れ
「SNSを見てると(特に他人の楽しそうなアレやソレや)、気疲れしちゃう」って話がありますよね。SNS離れの原因のひとつ。
そもそもなんだけど、それって読んだ人が勝手に「他者比較」して、勝手にマイナスイメージを受け取ってしまってるだけ。
要は「他人軸」に縛られているから、と言えるんじゃないかと思います。(あくまで原因のひとつと思うだけで、僕は確たるデータを持っていません)
だから、「私、もうSNSやめる」という方がいる。
確かにちょっと疲れちゃうこともあるんで、僕はTwitterは自分のタイムラインや本当に見たい方のリスト、通知をメインで見てます(こういうときにTweetDeckが便利です)。Facebookも基本は自分のウォールとメッセがメイン。
これは「情報のノイズ封じ」が目的ですが、SNSの情報価値は高いと感じているので、普通にタイムラインやウォールを見ることはあります。
自分軸とは
2015年、僕はサラリーマンを卒業して「好きなことをやって生きていこう」としているわけですが、日々「ウリャウリャ!」な気分でいたり、「ぐぬぬ・・・」な気分でいたりします。
このようにブレやすいからこそ、「自分軸」というモノをすごく意識しています。サラリーマンを卒業する前からも意識してきましたが(だから会社に属することを僕は避けれた)、より強く意識するようになったってわけ。
「自分軸」とは要するに「自信」です。
「自分を信じる」であり「今の自分でOKとする」であり、もっと言えば「今の自分でも十分価値があると信じる」ことです。
その「心理」がこれから必要だと感じてます。自分を通し続けるために。
というより、単純に僕が僕の人生を楽しみたいから。
自分軸であるかどうかの計り方
はい、ここから本題。
その「自分軸/他人軸」ですが、「果たして今の自分はどっち寄りだろうか?」はこーすれば分かるんじゃないかと考えたわけです。
その方法は簡単です。情報のノイズ封じをせずに、
『見たいときにSNSのタイムラインやウォールを見る』
だけです。見てない人はあえて見ましょう。
仮に、他人の楽しそうなアレやソレを見て心がザワザワ(嫉妬、怒りなどの嫌な感情)したら、まだ他人軸に縛られているってことじゃないかな〜。
だって、自分軸でいる方達って、他人の楽しそうなアレやソレに対して純粋に「いいね!」と感じたり、喜んでくれるものです。
特に興味がないなら「ふ〜ん、そうなんだ」だけだったりするものです。僕の経験上、少なくともマイナスイメージは抱きにくい方達ですね。
結局、受け取り方って、読み手の「心の在り方」で変わるものなんだよね。
僕が「素敵!」と感じる写真も、他の方からしたら「あら?そうですか?」と感じてしまうのと同じ原理。すべては自分の心次第。
だから、SNSは見たいときに見る。(寝食忘れてとか依存しちゃダメですよ)
で、それを見て自分がどう感じているのか知ると、「今の自分がどちらの軸なんだろう」ということが分かるのではないでしょうか。
こんなことを心屋仁之助さんの著書『「好きなことだけ」をして生きていく。』を読んで閃きました。
心がイイ意味でぐらつく本です
おわりに
今回のエントリーは、ふと閃いたことなので情報の確実性や、社会の実情を反映しているかなんてのは分かりません。でも、ひとつの考え方としてはアリじゃないかな。
ちなみに、僕は「自分軸でなければならない」と人に強要するつもりはありません。でも、そっちの方が人生楽しいと信じてます。
僕はまだ心のお稽古中なので、軸がフラフラすることが多いです。でも、近い将来できているでしょう。そう信じてやってみます。