2016年7月下旬、東京に2週間ほど滞在して人物撮影してきました。情報発信している方たちで、プロフィールやFacebookなどのカバー写真として使いたいとのこと。
このプロジェクトではFacebookに秘密のグループを作ってやりとりしていて、全員の撮影が終わったときだったかな、「ありがとうございました!」と投稿したんです。
そしたらブログ「いまここ庵」のとしさんが、こう言ってくれました。
なむさんありがとう!!
やりたいこと着実に始まってるじゃん。
どえらいことですよ〜んo(^o^)o
おつかれさまでしたー!
実はこれ読んで「え?」って思っちゃったのよ。
この文脈に、としさんのどんな想いが込められていたのかはわからないけど、としさんには感じられて僕には感じられてなかった「やりたいこと」ってなんだろう?って。
もしかしたら「フォトグラファーとしてやっていけてるじゃん!」ということを言ってたのかもしれないけど、僕はこんなことを考えてしまったのさ。
- 人の笑顔を撮りたいと思うのはなぜだろう?
- その人と対峙し、会話し、楽しみながら撮りたいのはなぜだろう?
- 心を引き出し、その瞬間をすくい撮りたいのはなぜなんだろう?
で、出てきた答えがタイトルに書いたこと。
勇気づけたい
僕は信州移住を決意する前、自分自身を劣った存在としてみていたんです。「本当のやりたい」を抑えて生きてきたと思う。「どうせできっこない」、そういう心の前提だったから。
でも、そんなことでは人生を楽しめないっしょ!?面白いわけがない。そう気づいた。時間をかけてゆっくりと、でも劇的に。
皆がそうとはもちろん思っていないけど、自ら生きにくくしている人はいます。
例えば、アドラー心理学の有名本「嫌われる勇気」にある一節を読んで グサッとくるような人。もったいないよ。
自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるだろうか。
だから僕は、「そうじゃないよ〜」、「それでもいいんだよ〜」、「そもそも大丈夫だし!」ということを伝えたいのかな?身をもって伝えたいのかな?って思った。僕ですら心が開けたんだから。
そんな「なぜなぜ」を繰り返していくと・・・、
なぜなぜのプロセス
人と話す。
僕の話を伝えて、人が笑ってくれる。涙してくれる。元気になってくれる。その瞬間をすくい撮りたい?それを直に感じたい?
これって見方によっちゃ「支配欲」ともいえるんじゃない?もしかしたら達成欲か?
う〜ん、うまく言葉にできない。
でもね、写真を現像しているときすご〜くいい表情が撮れていて、それを仕上げていくのがなぜか楽しいんだよね。「お〜、さすがオレ、やるじゃん!」みたいな(笑)
なんでだろう?
いや、そもそもこういうのに理屈はない。いいからいい。楽しいから楽しい。僕はきっとそれでいい。
だから、言葉にできなくてもぜ〜んぜんいいし、大丈夫。
まとめ
結局、やりたいからやる。感じたいから、感じられることをやる。
さらに、今回のプロジェクトはその人のためになっているんだから(すなわち貢献)、「なんでだろう?」な〜んて考なくていい。体感派の僕の場合は特にね。
これをひとことで言うと、僕は「写真で幸せ」になりたいってこと。
これは尊敬する写真家、ハービー山口さんのエッセイ集「雲の上はいつも青空 Scene.2」に書かれている言葉です。
本を手に取り、読んでビビビッ!ときた言葉。即買い決定した言葉。
きっと、僕は根源的にそう思って生きてきたから、読んだときに感性が反応したんでしょうね。
写真をブログやSNSに使ってくれているお客さま(記事投稿時)
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