幸せについて考えてみた
「これからどうなりたい?」
と問うことってあるでしょ。
例えば「幸せになりたい」と答えたとしましょうか。この場合どうなったら幸せか?色々あると思うね。それこそ人の数だけ。
あそこに行ってこういうことして、こうなって、というように夢を語るのはもちろんOK。僕も夢リスト作ってあるからね。でもさ、
ハードルを下げれはどんなことでも幸せなんじゃね?
- 動ける
- 行ける
- 食べれる
- 話せる
- 考えられる
- 悩める
- 悲しめる
- 分けられる
- 与えられる
- 受け取れる
- 感じられる
こうしてあげていけばたくさんあると思うよ。それこそ人の数だけこの「あたりまえ」がある。
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そう、あたりまえのもの。
すでにあるもの。
でも、この普通ができている今が幸せなんじゃないの?
ハードルをぐ〜んと下げて、幸せな気持ちのまま好きなことやる。すると、いつの間にか「なんか知らんけど」が”起こっていた”ことに気がつくもんなんじゃないかな。
ポイントは起こそうと思っても起こせないこと。起きても起こらなくてもどっちでもいい、というスタンスでいれたら最強なんじゃないかな。
絵を描いてみた
- 撮る
- 書く
- 書く
- 組む
- 話す
- 聴く
何事も行動してこそ上達するもの。
「もっと上手い人いるし」と言って手を止めるのはもったいない。
描きたい。だから描く、でいい。
急にそう思えた。だから描いた。
下手でもいい。経験積んでないんだから、知らないんだから下手であたりまえ。描くための脳と手の連携の質が低くてあたりまえ。
この記事を書いている時期は色々やることがあって、でもやれてなくて。やれない自分を責めてしまって心がごちゃごちゃしていたのね。
だからこそ、自分が少しでもやってみたいと思ったことを行動に移すことにした。
人にはもともと表現を求める衝動がある。僕の場合は写真やブログだけでなく絵も、実はある。
工作や美術の時間は好きだったし、昔はCGやデザインの世界に行きたかった想いもある。でもね〜、当時は心が幼くて「もっと上手い人いるし」という言い訳をしてやらなかった。衝動に寄り添わなかった。
だからこそ、今から寄り添うことにした。
したらさ〜、上手い・上手くない関係なく、描くこと自体が楽しかったんだよね。びっくり。
おわりに
「心もごちゃごちゃしていたのさ」と上に書いたけど、幸せについて考えたときはノートと万年筆を、絵を描いたときはスケッチブックとポールペンを使った。
手を使って頭の中を書き出した。否、吐き出したと言ってもいい。そうやって大切な衝動をせき止めていた蓋を少しずつ外していけたからなのか、気持ちがすっきりしたんだよね。
僕は考えすぎちゃうことが多い。
だから、留まってしまう時期がある。「む〜ん」となる時期が。そうなったときって視野が狭くなってね、今回のように脱出手段を忘れてしまう。ひとりで活動していると特にね。
そういうときのために、ここに備忘録として残しておくのでした(笑)
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