ある日の夜、「僕が自分のエネルギー(主に男性性かな)をいかに封印してきたか」に気づかせてくれた出来事があったのね。
なんだか悔しくて、むかついて、機嫌が悪くなったよ。でも、だからこそ「じっくりと自分に向き合おう」と前を向いたのさ。
落ち込むことなく、そうできたのは我ながらすごいと思う。成長したなって。
幸いにも、昨年のLPLを機に自分の中の男性性を受け入れられ、育ってきてる。
今まで封印してきたのは、たぶんそのメリットがあったからなんだけど、そこに違和感を感じて「これからの人生」を変えるために僕は2013年から動いてきた。
もう古いメリットが今のメリットじゃなくなってる。ホントに望むものじゃなくなってる。
何をしても、何が起こっても僕の「いのち」や「価値」は変わらない、ということはLPLを学んでわかった。
だったら、より「ウリャウリャ〜!!」と輝くために、ホントを手にするために、いままでの「ありえない」領域のことをやるときなんだろうな。
だって、自信はやることで培われるものだから。
気づき前の気づき 〜すべてはプロセス〜
前述の出来事(じっくり自分と向き合う)がある前、お昼頃かな、に僕はあることに気づいた。
自分の周辺をどう見るか?
周辺から受け取る情報をどう解釈するか?
自分に起こる出来事、人間関係などなどの現在過去未来すべて。
これは「ホントに自分の在り方ひとつなんだなぁ」と腑に落ちたんだよね。
機嫌が悪ければ、機嫌が悪くなるように世界が見えるし、目の前に現れるし、そう受け取ってしまう。逆に機嫌が良ければ正反対のことが見えるし、現れるし、受け取れる。アドラー心理学で言うところの目的論。
だから、ホントに自分の在り方ひとつ。それは「自分はこんなことをやれる人」と思うことも同じ。
自分の価値を決めるのは自分です。
自分のことを大切にするのも自分。
自分を信じるのも自分。
生まれてから死ぬまで一番長く付き合うのは自分なんだから、ゴキゲンでいるために在り方を大切にしたいよね。
翌朝の気づき 〜全部つながっている〜
前述の出来事(じっくり自分と向き合う)の翌朝、シャワー中に新たな気づきがきた。
中学時代、本当は力を出したいのに抑えてしまった自分がいた。いくつかのシーンが思い出される、ってことは「未完了の感情」ってこと。
抑え込んでしまった過去の自分、そうすることが(学校、クラスにおいて)生き残る方法だと勘違いしていた過去の自分。
心の中でそいつにさ、今の自分が寄り添ってみた。こう声をかけたよ。
「我慢してたよねー」
「出したかったんだよね」
「やりたかったんだよな」
「だって、こっちの方が強いんだからやり返せたよ」
「平気だよ」
そして最後に、自然とすっと出てきた言葉がこれ。
「力を出していいんだよ」
で涙腺崩壊。
言えた。
言ってやった。
だから、癒えた。
前夜の気づき、前々夜の気づき、それらがあってからの朝の気づき。本当にぜんぶがぜーんぶプロセスだね。
おわりに
嫌な気分になったり、人を見てもやっとしたときは自分を見るときだよ。
なんでこんな反応をしているんだろう?
そう感じたのはいつだろう?
嫌だけど、ときに心が痛むけど、自分を見てみる。そうするとけっこうスッキリする。
そんで最後に思ったのはこんなこと。
『 封印してきたってことはな?
もう僕には「伸びしろしかない」ってことだよな(笑)』
この記事を書いている今の僕は調子にのってる。言い換えると、自分のリズムに乗れている。
うん、この感覚は覚えておこう。
また落ち込んだりしたら、この感覚を思い出していけば大丈夫だ。
僕にとって「力」はすごく大事なキーワードらしい。これも覚えておこう。