やりたくないことを、(今)やっている。やりたくないことを、(これから)やらなくてはならない。
こうなると人は現実逃避しがち。そうじゃありませんか?
僕は昔からそう。例えばゲームなどの娯楽で心を満たそうとする。
なぜそうだったのか、ようやく謎が解けました。心の底からやりたくないことだったからです。
だからこそ、僕らはその日その時やりたいことをやった方がいい。特に目指す先があるなら、それにつながることをやるのがベスト。
とはいえ、僕はゲームは好きなんです。言うなれば、やりたいこと(Want)のひとつなんですよ。
問題なのは、本来やりたいことをやったのに「あっちゃ〜」って罪悪感としてしまっていること。
でも、罪悪「感」とあるとおり、この感情は事実ではありません。罪ではなく、罪と勘違いしちゃってるだけ。ただそう感じちゃってるだけ。
だから本当に大切なのは、
- 目指す先があったとして、そこにつながることをやった方がいい
- でも、そこにつながらないこともやっていい
「前者をやった自分は偉い、後者をやった自分はダメ」ではないんです。
そうではなく、仮に(目指す先には近づいてないから)ダメだとしても、そのダメな自分すら「すげぇ」、「まぁいいか」、「大丈夫」ってことにする。
そうすると罪悪感は薄れていき、次第になくなると僕は思う。
これが「自己受容」と呼ばれるモノなんだろうな。
事実、その時やりたかったことをやっているわけですから、潜在意識としては良いことなんですよ。心は喜んでいるわけ。なのに、顕在意識が勝手に「あっちゃ〜」って勘違いしているだけ。
もうね、「ゲームやった!以上!」でおしまいにしていいんだよね。
ここで謎がひとつ。
僕にはその日やりたかったことが、翌日やりたくないことになってしまったりすることがあって、これはなんでだろうって思う。「これは!!」とやりたくなったことなのに、翌日になると「別にいいか」になってしまうのはなぜだろう?
Want → Mustとなった原因が知りたい。
もっというと、Mustなことを心の底からのWantに遷移させる心構えが僕は知りたい。
その第1歩はやっぱ自己受容なのかな。
ど〜んな自分でもOKとする。ど〜んな自分にもOKを出す。
そうすることで、やることなすことが全部自分のためになるから楽しくなる。やりたくなる。そして、やるから自分が満たされる。
というわけで、心のお稽古は続く・・・。
※写真は2年前、六本木のOutbackで恩師友人とお酒を飲んだときのひとコマ。このときは「昼間っからお酒なんて!」って思っていたときですが、今は昼間からでもお酒は飲んでいいし、飲みたいって思ってます。
2018.6.11追記
僕にはその日やりたかったことが、翌日やりたくないことになってしまったりすることがあって、これはなんでだろうって思う。「これは!!」とやりたくなったことなのに、翌日になると「別にいいか」になってしまうのはなぜだろう?
これについて追記。
翌日になってやりたくなくなったとしても、「それをオッケーとする」でいいと思います。
少なくともその時には「やりたい」と思えた。だから「やりたいことリスト」などにあげた。これだけでも「やりたい」ことのベイビーステップを踏み出せている。
Wantを満たせているわけだから。
だから、それだけで「も」OKとすることが自己受容の一歩です。