あきらめる
「そっか、僕はこんなもんだな」
「そっか、こんなんでも私だもんね」
がんばる教をやめるには、自分に諦めることがスタートだと僕は思う。
諦めるとは「明らかに見る」ところから来ている言葉で、ぜんぜんネガティブじゃないし。
できる・できないの囚われ
「できる・できない」に囚われてしまうから頑張ってしまうのか?
頑張っているから(or しまうから)「できる・できない」に囚われてしまうのか?
両方あると思う。
「できる・できない」に対して、「許す、諦める、気にしない」というマインドになれたら、きっとがんばる教から足を洗える。
そもそも「そのできないこと」ってあなたがやることなのかな?
できないなら、できないでいーんじゃない?
そもそもやりたくもないことなら、できないことは「そりゃそーだよね(笑)」で終わるんじゃない?
自分の価値は自分で決めるもの
できないと「自分には価値がない・・・」と陥りがち。でもね、自分の価値は誰かが評価してくれたり、何かの世界的な基準によって決まるものじゃない。
違う。
自分の価値は自分で決めるもの。
椎原崇さんの本「うまくいったやり方から捨てない」にはこう書かれています。
自分の価値は自分で決めるもの。「ダメだな」と思う部分も「ここはいいな」と思える部分も、まるごとよしとすることか大切です。
「まるごとよしとする」という感覚は「私って全部素敵!」「俺ってサイコー」になるということではなく、どちらかというと「ま、これが私だもんな」という軽いタッチ。
いい自分、悪い自分というジャッジを挟まない、ニュートラルな感覚です。「これが自分だから」その感覚こそが、価値ある自分を認めるということなのです。
「さっさと自分に諦めて、認めてしまえ」と僕は受け取ってる。
奇しくも、上記が書かれている章のタイトルは「あなたらしさに降参せよ!」なんだよね(笑)
健全ながんばりで行こう
できる・できないに囚われてしまうと苦しいね。
そういう時は一歩立ち止まって、少し引いて自分を見てみよう。
自分は何に幸せを感じるんだろう?
自分は「(できない)それ」を本当にやりたいのだろうか?
と自分を自覚してあげて。
そして「興味があってやりたい」ということはどんどんやろう。やっていい。頑張ってもいい。
それが健全ながんばりだし、すごく楽しいことだよね。