だって、脳と心は「否定形を理解しない」のだから。
これは恩師から教えてもらった事。また、心理学の本を読んだり自分の経験からも「そう」なんだろうなと実感していること。もっと言えば、脳は主語をも理解しません。これは精神科医であり、作家でもある樺沢紫苑さんがおっしゃっています。
僕はこのブログで心の変化や成長、気づきを綴っています。以前、ブログ経由でメールをくれたご夫婦もそこに興味を持ってくれたようでした。(や〜、ありがとうございます!)
なぜそんな事を書いているのかというと、このブログが僕自身のドキュメンタリーメディアだからです。僕の変化/成長を記録し公にすることで、自分も、読んでくれた人にも何かしらのスパイスになればいい、とそう願っているから。
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脳と心は否定形を理解しないのだから、こうすればいい
さて、話を戻して。
例えば飲み会の席で「〜〜さんは馬鹿だ」みたいな一般的にネガティブな会話があったとします。当人はその言葉を相手に向けて発したのかもしれませんが、発した本人の口から音が出て、自身の耳で音を聞く。そうすると脳と心は結局「馬鹿」だけが理解される。
するとどうなるか?
自分が馬鹿である現実が目の前に現れます。というか、そういう情報だけを選択するようになると言った方が正しいかも。ですから、本来disるのは無駄なんですよね。だって、自分に返ってくるんだから。
だったらどうするか?
できるだけ自分にとって気持ちのいい言葉を使えばいい。あと愚痴るだけのような場には参加しない。要は、(本来の自分が欲する)やりたいことをやればいいし、やりたくないことを少しずつ手放していけばいい。
そうしていくうちに、少しずつ気持ちのいい流れが来ますし、自らも作っていけますよ。そうなれば楽しいわけさ。
人は良いも悪いも自分の観念にフォーカスしてしまう
冒頭に書いたように、僕はブログに自分の変化/成長も書いています。常々、そういうことを考えているんですよ。脱サラして移住して、個人事業主になって。これからをどうやっていこうか、とか。
そうするとどうしても「不安」や「恐怖」といった感情に支配されるんです。でもね、こういうときこそ変化の兆し。最初はず〜んと凹むこともあるけれど、これまで何とかなってきました。それは相応の素敵な気づきがあったから。
とはいえ、正直、カラ元気だったこともありますけどね(笑) でも、カラ元気も元気のうち。本当に元気がなければカラ元気すら出せませんよ。
なんでこんな話をしたかというと、そんな「ず〜ん」が5月にもあってね。そのとき出てきた言葉は「諦めたくない」だったんです。自分の人生をね。
で〜も
脳と心は否定形を理解しないわけだから、「諦めたくない」は「諦める」なんですよ。観念が「諦める」にフォーカスし続けるので、諦めざるをえない状況を招いていくわけ。「諦める」ような現実ばかりが目に入るし、起こる。正確には無意識に選択しているわけだから「起こす」ですね。
最近の心屋仁之助さんのブログにたびたび出てくる「ひとりコント」はまさにそんな状態。
自分の観念や前提が「諦める」だから、そんな状況を(自ら無意識に選択して)起こしてしまう。自分で選択しているのに、自分で「なんでやねん!」と突っ込み入れてる。これをひとりコントと言います。
どーせならそんな状態からは脱したいもんです。
おわりに
最終的には「大丈夫に気づく」であったり、「大丈夫ってことにする」であったり、「諦めたっていいし、諦めなくたっていいし(=何事も二元論ではないってこと)」であったり。
そういうことに自分で自分に納得するというか、腑に落とすというか、そういう精神になれるのが理想。理想ですが、不可能ではないと僕は信じている。ナリ心理学のナリくんを見ていて、ホントそう思う。
だから、僕はこれからも考えたり、人に相談したりして心のお稽古をし続けていきます。こういうときにやってはいけないことは、ずっと立ち止まること。なんでもいいから、休んでもいいから、少しずつ進むことです。
不安や恐怖を受け容れるために参考になる図書
結局、不安や恐怖を感じていたとしても答えは自分にあるものなので、自分の内面を深掘りすると良いのですが、この本はそういうときの参考になります。