「人にはお役目がある」
2017年、心を学び、自分の心の解放/開放をしてきた今だから、その話がわかる。
お役目ってね、簡単にいうと「あなただからできる」こと。それを自分と自分の周り(ひいては世界)にすること。そうすると、(その人にとっての)幸せな流れにのれる。
「自分ならではのできること」なんてないよ!と叫ぶ人はいるだろうけど、それでもお役目はあると僕はいう。だって単に忘れているだけだから。見えていないだけだから。
例え話。
今は誰でも写真が撮れる時代だよね。でも、おなじ景色・おなじ人を同時に撮ってもおなじ写真にはならない。写真には感性がはたらくし、感性はその人自身だから。くわえて、その写真を見て何を感じるかは見た人次第だから、まったくおなじ写真には決してならない。
そういう違いが僕らにはある。これを個性っていうんだろうな。
もちろん、「お役目がある」と信じられるようになるには時間がかかるよ。それは自分を信じることだからね。イケてる自分OK。イケてない自分OK。「そもそも自分はすごい」ということにする決意、と思えるように。
1〜2年前かなぁ。僕より若いフォトグラファーが、僕より短期間でメキメキと力をつけ、社会的に成功している(と僕には見える)情報が目に入ってきました。感動した僕はその方を真似することから始めました。結果、僕なりの写真観が育ったと思ってる。
でも、当時はちょっと気をぬくと落ちました。自分と比較して嫉妬の闇に落ちました。本来、嫉妬も自分を成長させるファクターなんだけど当時はそうならず。めちゃめちゃ悔しかったし(笑)
今日、その彼、保井崇志さんが素敵な記事をあげていました。最後部分だけ有料ですが買って読ませてもらいました。
▶︎参考:フリーランスフォトグラファーの教科書|保井崇志|note
うん、今の僕なら彼の言っていることがすごくわかる。そして、彼はやっているけど僕はやっていないこと、つまり自分との違いを受け入れている。その心の土台は今やしっかりできている。
まぁ今でも悔しいけど(笑)、素直にすごいなーとも思うし、その分、僕もやってやる!と奮い立たせてくれる方です。
人はさ、比較=優劣と思いがちだけどそれは違う。自分と違うだけ。違いは優劣ではなく、ただ「個人」として違うだけ。ただ「お役目」が違うだけ。彼には彼のやることが、僕には僕のやることがあるだけ。
そう確信できているのは「自分を生きること」「自分のミッション(=元旦に書いた記事)」「自分のお役目」といったものが腹に落ちているから。
これから僕が自分の写真とどう関わり、どう世界にお役目をしていくか。 実は今はまだ抽象的なヴィジョンでしかないんだけど、「そう生きている」というシーンのイメージはある。
イメージを意識しながら、保井さんの言葉を借りれば『「選ばれる必然」をつくること』をやっていくターンなんだろうなと直感してます。僕自身の特集記事を書くようにこのサイトを起点に発信していく。
さて、半年後、1年後、僕はどこを歩いているだろうね。楽しみだ。